今でもよく覚えています。
初めて我が家で購入した掃除機は赤と白の色使いで、長っ細い近代的なデザインでした。
スイッチはまだ手元に付いていなくて、本体のみ。
吸引力がどうだったかは覚えていませんが、ホコリをよく吸い取っていたのは記憶に残っています。
掃除機が来るまで、我が家ではほうきを使用していました。
多くの家には掃き出し窓があり、ほうきで掃いた際に、そこから庭に掃きだす事ができたのです。
我が家では、普段の掃除の時はほうきで掃くだけで、定期的に拭き掃除をし、毎週日曜日の大掃除の時はお茶殻(緑茶を飲んだあとのお茶っぱのゴミ)を撒き、それをほうきで掃いていました。
湿ったお茶殻にホコリが吸着し、きれいにホコリが取れたものです。
また、お茶殻は畳にいいそうですよ。
それを掃き出し窓から掃き出し、庭にお茶殻をそのまま散らかしておくと、お茶殻は庭の植物たちのいい肥料になっていました。
そんな生活を一変したのが、その掃除機でした。
母は掃除がラクになり、随分喜んでいましたよ。
ですが、やはり普段の習慣が抜けず、週に1回はお茶殻を室内に撒き、ほうきで掃いていました。
最初に撒いた時には「掃除機で吸い取ろうかしら?ほうきの方がいいのかしらねえ?」と悩んでいましたが、掃除機で吸い取ってみたらすぐにゴミがいっぱいになってしまい、ほうきを使うようになりました。
そして、時間をかけながら、徐々に母が掃除機に慣れていったものです。
というのは、当時の掃除機は少々重く、小回りがきかないものでしたので、ちょっと掃除をしたいという時にはほうきの方が簡単だったのです。
それでも、掃除機が便利だと思えたのが、食器を割った時の事。
破片を一気に吸い取る事ができ、感動でした。
子供ながらすごく不思議だったのが排気口。
細かいホコリを吸い込んでいながら、そのホコリが排気口から出てこない事が不思議でなりませんでした。
当時の掃除機の構造がどうなっていたかはわかりませんが、その数年後に紙パックを使える掃除機が販売されて話題を呼んでいたので、中にゴミがたまるだけの構造だったのだと思います。
掃除が終わると、母は毎回、掃除機の中を掃除していました。
本来は掃除がラクになるはずの掃除機ですが、母が掃除機という物に慣れず、掃除機を掃除しなければ我慢できなかったのでしょう。
その後は掃除機が故障するたびに買い替えて、母は、中にちょっとくらいゴミがたまっていても放置できるようになりました。
手入をしないと気が済まないのは、昭和初期の女性なら普通なのでしょう。
朝起きたら掃除をし、仕事から帰って来たら掃除をするのが当たり前だったように思います。
今の掃除機は性能がいいので、吸引力は比べ物になりませんが、掃除機の購入は我が家の事件簿の一つとして、今でもいい思い出となっています。
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