【昭和な話】私の叔母とアメリカ兵との恋の話

↑ 写真>一番左より私の母、叔母、叔父と祖母です。

私にはアメリカにハーフの従兄がいます。終戦後、まだ若かった叔母がアメリカ兵と恋をし、その兵隊さんとの間にできた子供でした。長い長い時の中で、そのアメリカ兵も、その子供も、私たちの親族も、ずっと勘違いをしたまま過ごしていました。その真実は、一人の男性によって明らかにされたのです。
赤ちゃん宛にタイプライターで打たれた手紙

 

私が中学生の頃、部屋で探し物をしていると、小さなお守り袋のような巾着が出てきました。

「何が入っているんだろう」と興味を持ち、私は中身を確認する事にしました。

 

すると、その中には大学ノートのページを丁寧に切ったような紙が1枚入っていて、その紙には英文がタイプライターで打たれていました。

ザッと斜め読みをして、分かる単語だけで何となく解釈をしたところ、どうやらToshikoさんが子供宛に打ったものだと分かりました。

 

「Your father is/あなたのお父さんは・・・」と書かれた後に、父親の特徴を細かく書いていました。

母に手紙の事を聞くと、

「それはお母さんの妹の、あんたにとっては叔母にあたる、とし子おばさんの手紙よ」と言われました。

 

私は、とし子おばさんが24歳で亡くなった事は知っていましたが、子供がいる事は全く知りませんでした。

私は父から、とし子おばさんは一人でガス自殺をして亡くなったと聞いていました。

その時、叔母のそばには赤ちゃんも交際相手もいなかったのです。

それは1958年(昭和33年)の事でした。

 

 

母によると、終戦後、叔母はアメリカ兵と交際し、そのアメリカ兵との間に赤ちゃんがいたそうです。

ですが、その後アメリカ兵は他の国に行く事になり、叔母は結核になってしまったのです。

叔母は赤ちゃんと2人でどれほど悩んでいた事でしょう。

 

私は辞書を引きながら、その手紙を訳す事にしました。

するとその手紙には、赤ちゃんとの別れについてと、アメリカ兵の腕にバラのタトゥーがあることが書かれていました。

 

昭和の頃にはまだタトゥーをファッションとして捉えることがなく、当時の私にとってタトゥーというのは、ヤクザが入れる入れ墨でしかありませんでした。

私は叔母がとんでもないならず者と交際していたのだと思い込んでしまったのです。

そして、私はその赤ちゃんがアメリカ兵にとって遊びで出来た子供だと思い続けていたのです。

 

赤ちゃんとの別れについては、叔母が結核になってしまった事から、他の誰かに預けなければならない状況が理解出来ました。

一緒にいたら赤ちゃんに感染するかもしれないからです。

 

母によると、どういう経緯でそうなったのかは分かりませんでしたが、赤ちゃんはアメリカに養子として引き取られていったそうです。

母も親戚も、その赤ちゃんがアメリカのどこにいるのか分からず、とし子おばさんが亡くなってしまった事から何の手がかりもない状態になってしまいました。

 

 

クリントン君、はじめまして!

 

その手紙の発見から20年以上の月日が流れ、私は東京で娘と2人で暮らしていました。

その赤ちゃんについては、まるで都市伝説か何かのような感覚で、普段の生活の中ではほとんど忘れていました。

探したところで見つかるはずはなく、私の従兄(叔母の赤ちゃんだった人)はアメリカで幸せに生活している事だろうと、都合よく考えていました。

 

2010年のそんなある日、母から慌てた声で電話がかかってきたのです。

「読売新聞の新聞記者さんから電話があって、アメリカの親戚が、今、日本にいるんだって!ちょっと会いに行ってくるからね!」

 

どうやら、従兄の息子さんを名乗る男性が母に会いたがっている様子。

男性の名前はクリントン君。

叔母が亡くなった事を知らずに日本まで探しに来て、日本語が話せないのに僅かな手掛かりを元に、母のところまで辿り着いたのだそうです。

 

 

記者さんは、クリントン君がおばあちゃんを探している事を知り、密着取材をしながら人探しに協力してくれていたそうです。

母と会った時には、通訳もしてくれていたようですよ。

 

母とクリントン君、母の2人の弟は、クリントン君とたくさん話し、間違いなく甥っ子である事を確信したのだとか。

クリントン君に会ってから、親戚一同大騒ぎになりました。

 

そして私は、英語が全く分からない母のために、クリントン君とメールでやりとりするようになり、私が彼と会ったのはその翌年の春の事でした。

クリントン君が私の実家に泊まりに来ることになったのです。

 

 

メールで待ち合わせ場所や時間を約束し、私は休みを取ってクリントン君を迎えに行きました。

背が高く育ちの良さそうなクリントン君を見て、「私の家系にこんなに気品のある人がいるはずない」とキョロキョロしましたが、他にアメリカ人らしい人はいませんでした。

 

そこで、「違うかも知れないけど、彼に声をかけてみよう」と、「あなた、クリントン君?」と下手な英語で聞いてみると、「おお、金時さん!はじめまして!」(金時=ハンドルネーム)と答えるではありませんか。

 

「こちらこそ、はじめまして」と答えてみるも、内心は「どうしよう!こんなに品のある人だなんて。失礼の無いようにしなきゃ!」と、数日間はちょっと緊張してしまいました。

ですが、クリントン君は純粋で涙もろく、心の優しい男性。

 

実家のヘンテコな料理を喜んで食べてくれて、母は嬉しそうに食べるクリントン君を見て、もっと喜んでもらおうと同じ料理を続けて作ったりもしていました。

「毎日同じものは良くないよ!」と、私が料理をする事もありましたが、そうすると、母は毎日苺を買ってくるようになりました。

 

 

苺を食べて「おいしい」と、覚えたての日本語で言ってくれるクリントン君が可愛いのか、毎日毎日、母は苺を買ってきました。

クリントン君はトータルで、大体1カ月半くらい日本にいたと思います。

 

他にも、大阪の友達の家に遊びに行っていましたから、ずっと私の実家にいたわけではありません。

アメリカで暮らしていると、実家のある神奈川県から大阪なんて、あまり距離を感じないのかも知れませんね。

 

そして、クリントン君とお話をする中で、私たちが随分と勘違いをしていた事を知りました。

私たち日本の親戚だけではなく、クリントン君の父親(私の従兄)も、クリントン君のおじいちゃん(アメリカ兵)も、みんなそれぞれに勘違いをしていたのです。

 

クリントン君が探し求めた真実

 

クリントン君が明らかにした真実を語る前に、まずはみんながどんな勘違いをしていたかまとめますね。

 

私や親族の勘違い

叔母とアメリカ兵Cさん(以後Cさん)の関係について、Cさんがとんでもない人で、叔母への思いは遊び程度のものだったと思っていました。

仕事で他の国に行ったとしても、その後連絡が取れなくなってしまった事、入れ墨(ファッションの一環のタトゥーですが)がある事などで、悪い人だとしか思えませんでした。

 

叔父は、叔母が病気になって赤ちゃん(以後Bさん)が養子にされる前に、Cさんに手紙を書いたそうです。

ですが全く返事が無かったらしく、何も確認できないままだったそうです。

 

母の考え

母は叔母の実姉。

そんな母は、そのCさんと会った事があるそうです。

母にとってCさんの印象は、私たちとは違い、とてもいいものでした。

優しそうで、叔母を大切にしてくれたという話。

 

母は、「当時は生きるのが大変な時代だったから」と、音信不通になった事に関しても、連絡手段が乏しい時代だったから仕方がないと話していました。

どんな人だったのか尋ねてみても、「いい人だった」と一言あるだけでした。

 

養子に出された赤ちゃんの思い

赤ちゃんのと言っても、お話を伺ったのは彼が50歳を過ぎた時の事。

しかも、直接お話をした事が無く、クリントン君から聞いた内容です。

 

私の従兄であるBさん(叔母の赤ちゃんだった人)は、両親の顔も知らない状態でアメリカの家庭に引き取られていました。

日本語の分からないご両親は真実を知らないまま、養子縁組の仲介人の言葉を信じ、Bさんを「捨て子」と思い込んでいました。

Bさんも自分が「捨て子」だと思い込み、ずっと両親を憎んでいたそうです。

 

当時、アメリカでは、日本が戦争に負けたことから日本人が見下されていたので、日本人とアメリカ人のハーフであるBさんは、子供の頃から随分と辛い思いをしていたそうです。

いわゆる、人種差別というもの。

 

「なんで僕は捨てられたんだろう!」「なんでこんな差別を受けなければいけないんだろう!」と、辛く悲しい思いを重ねるほど、両親への憎しみが深まっていったようです。

 

 

クリントン君の思いとたくさんの協力者

クリントン君がこの事に気付いたのは、クリントン君の腕にホクロがあったことが切っ掛けでした。

クリントン君にとって、他の人からは見たことが無いホクロ。

気になった彼は、母方の祖父母に「これ、何?」と聞いてみました。

すると、祖父母は「あなたは日本人なのよ」と答えたそうです。

クリントン君の話では、アメリカ人にはホクロが出来ないそうですよ。

 

そして、自分のおばあちゃんが日本人であることを知り、また、日本の血が自分に流れている事を知って、すごく嬉しかったと言っていました。

” I am Japanese”と、喜んだのだとか。

 

それは、クリントン君が日本にとても興味を持っていて、日本の文化に魅了されていた時期があったから。

もちろん、それまでは自分のおばあちゃんが日本人だった事など全く知りませんでした。

 

お父さんであるBさんに尋ねても悪い話にしかならず、「おばあちゃんに会いたい」と言っても、自分を捨て子だと思い込んでいるBさんは「会うな」と言うのです。

クリントン君とBさんと話した結果、クリントン君は「僕たちのルーツを突き止めてやる!」と、まだ会った事の無い家族を探し出す事にしました。

 

クリントン君はまず、Bさんの養子縁組の書類を手に入れ、おばあちゃんの住んでいた千葉県太田市に書類を請求しました。

その書類と共に、市役所から「あなたが日本にいらっしゃることを楽しみにしています」と一言お手紙が入っていたそうです。

その時すでに、クリントン君は日本に来る事を決めていたのだと思います。

 

2010年11月、クリントン君来日。

クリントン君は太田市のスタッフや新聞記者の皆さんと、私の叔母を探してくれました。

色んな所に足を運び、地方紙にも掲載して頂き、ついに私の母と叔父を見つけ出してくれたのです。

 

 

真実について

クリントン君は母と叔父に会う事で、叔母が24歳で亡くなっていた事を知りました。

そして、父親のBさんが捨てられたわけではなく、とても母親から愛されていた事も。

 

クリントン君は母と、2人の叔父と共に、千葉県にお墓参りをしに行き、記者さんや通訳さんの力を借りながら、母は「良かったら、来年の桜の時期にでもまた来てください」と伝えました。

クリントン君はとても喜び、アメリカに帰り、お父さんにおばあちゃんの本当の想いを伝える事が出来ました。

 

叔母はBさんと一緒にいたかったけれど、感染症にかかっていたためにそばにいることが出来なかったこと、せめてもの思いで手紙をタイプライターで打っていた事など。

当時、英文が書けない人のために、お金を払うとタイプライターを打ってくれる商売があったようで、そういった所で売って貰ったのかも知れません。

タイプライターは高価なものでしたからね。

 

翌年(2011年)の春、クリントン君が再度来日。

私とクリントン君は初めて会う事ができました。

 

クリントン君はその日、アメリカに帰っている間におじいちゃん(Cさん)を見つける事が出来たと、嬉しそうに話していました。

おじいちゃんというのは、例のアメリカ兵のCさんです。

 

Cさんは、本当に心から私の叔母を愛していたのだと話していたそうです。

クリントン君のお話では、叔母と結婚をしたいと上司(上官?)に話したところ大反対され、「スパイかも知れない」とまで言われたそうです。

 

どんなに説得しようとしても、2人の結婚は認められなかったらしいのです。

結局、叔母とCさんは「形は関係ない」と、籍を入れずに夫婦として生活する事にしました。

 

叔母が妊娠し、赤ちゃんが産まれた時、Cさんは人生最大の喜びを知ったといいます。

Cさんはクリントン君にたくさんの思い出話を話してくれました。

 

 

中でも、叔母がお豆をお箸で摘まんだのを見て、Cさんがお箸に挑戦したお話がほっこりと心温まる内容でした。

Cさんは何度やってもうまくお豆を摘まむことが出来ず、「あなた下手ねえ」と笑うと、Cさんは何度も挑戦し、お豆が落ちるたびに2人で笑っていたのだとか。

 

また、Cさんが当時赤ちゃんだったBさんと過ごしたのはたったの3カ月でしたが、Cさんはその3カ月の思い出をとても大切にしていました。

親子3人で公園を散歩した時に、その公園には池があり、CさんはBさんを抱っこして「ほら、鯉がいるよ」と見せようとしました。

その時、鯉が水を吹き出したためにCさんがとてもビックリしていて、その驚いた顔が愛らしく、ずっと記憶に残っていたそうです。

 

 

どうして叔母から離れなければならなかったのか、クリントン君は聞いて来てくれました。

それは、アメリカ政府が叔母とCさんを引き離すために、Cさんに他国に行くように命令を下した事が原因だったのです。

 

その期間は3年間。

アメリカ軍の人たちは、「3年も離れていれば気が変わるだろう」と思っていたそうです。

その間、叔父が出した手紙は、手紙に書かれている日付の約1カ月後にCさんに届いたらしく、漢字を含めた日本語だったためにCさんは理解が出来なかったそうです。

 

Cさんは軍に、日本語が分かる人がいないか探しました。

「日本語は分かるよ」と名乗り出た人はいましたが、「こんにちは」「おげんきですか」が分かる程度で、手紙の内容が全く理解出来なかったそうです。

Cさんのいた場所は手紙を書くことも出すことも困難な状況で、赤ちゃんのBさんはCさんの知らないうちに養子に出されてしまったそうです。

 

その件についてクリントン君が日本で確認した話では、叔母は養子に出すつもりは無かったそうで、まるで奪い取られるかのように連れていかれたと聞いているそうです。

叔父がそう言っていたのかも知れませんが・・・。

 

3年後、Cさんは元のアパートに戻ってきましたが、その間に叔母はもう亡くなっていました。

そして、Cさんは日本語が喋れないのに、近所の人たちに必死になって聞きまわり、我が子を探しました。

もちろん、戦争中に外来語でさえも禁じられていた日本の一般庶民に、英語を話せる人などいません。

 

その時に何とか分かったのは、Cさんがアメリカに行ってしまったということだけ。

しかも、アメリカの地理を習っていない日本人には、アメリカという事しか分かりません。

Bさんはアメリカの大地で、我が子を何年も、何十年も探し続ける事になってしまいました。

 

クリントン君がCさんに会った時、Cさんはかなり弱っていて、もう探す体力がなくなっていました。

ですが、クリントン君が会いに行ったことで、50年以上の時を経て親子が再会する事になりました。

 

親から捨てられたと思い続けていたBさんは、クリントン君の誘いになかなかYESと答えることが出来ずにいましたが、父親Cさんに会って話をすると、たくさんの誤解が晴れていきました。

Bさんは目に涙を浮かべながら、Cさんのお話を聞いていたのだとか。

 

 

私はクリントン君から真実について聞くことができ、心から嬉しく思いました。

叔母の最後は悲しいものだったかも知れませんが、叔母は確かに愛されていたのですから。

 

終戦後とは言っても、叔母は戦後の苦しい中、結婚も許されず、子供まで奪われてしまったのです。

それでも愛されていた時が本物だったこと、私の従兄のBさんが真実を知る事が出来たこと、全てはクリントン君に感謝しています。

 

その後、約10年経ちましたが、クリントン君とはずっと親戚関係を大切にしています。

コロナ問題が落ち着いたら、ぜひ会いに行きたいと思っています。

 

長くなりましたが、今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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